富士日記〈上〉 (中公文庫)
「作家夫人の山荘暮らし日記」というと、花だの月だの悠長な話かいなと思うが、そしてその通りといえばその通りなのだが、武田百合子という人の目を通すと、予想を裏切る、なんともエキサイティングな日々の暮らし! 「死にかけた野鳥の雛を踏み殺してやる」野性の優しさが私は好きだ。何度読み返しても飽きない。心が落ち着く本。
ひかりごけ [DVD]
実話をもとにした映画「ひかりごけ」見ました。
極寒の知床岬に漂着した船員4人(三國連太郎, 笠智衆, 奥田瑛二, 田中邦衛, 杉本哲太 )が徐々に衰弱して弱っていく。
食料はまったくない・・・人間を除いて!
もめながらも結局は死んだ仲間の肉を食わねば自分も死ぬという展開に。
田中邦衛は食わないで死ぬが三國は食う!ガツガツ食う!!しかも生でくってた。
人肉をもぐもぐやってるときの三國連太郎の眼がものすご怖い!
人間の眼じゃない気さえする。
結局人食い船長三國が3人完食して生き残った。
現実ではこの船長は裁かれて有罪になったらしい(懲役1年)。食人で刑を受けた初めての事例だとか・・
自分がもしこういう状況になったらどうするかなぁ?
やっぱりなってみないとわからないです。
地味に怖い映画でした・・・
ひかりごけ (新潮文庫)
「文学雑感」という随筆で、著者は大戦中、私小説に共感を持っていたことを語っている。
「在郷軍人会の幹部の演説、政府の声明、大臣の談話などが、いかにもそらぞらしく、無意味なものとして重くるしく立ちこめていた戦時にあっては、私小説作家の正直な記録は、たしかに救いであった。」(「文学雑感」より)
戦中、公明正大に語られた大義の「言葉」がいかにいい加減で簡単にひっくり返ったか、という体験の下で、戦後の著者はこのような「言葉」を語る戦後の日本人に対する不信感を描いた作品を次々と書いた。人食裁判シーンで裁判所の人間全員を告発してみせる「ひかりごけ」のクライマックスは、「蝮のすえ」で敗戦直後の上海で軍の権力者だった男を殺してみせたと同様、一線を超えた告発の試みだといえるだろう。そういった視点でいうと、主人公の復讐を描いた「流人島にて」でも、エグイ復讐が遂行されることを指摘したい。
そして、これらの作品では当然ながら「私」が主人公であり、大戦中に軟弱な内面を吐露した私小説作家達による、暴力的な復讐として読めるのだ。しかし、もちろん著者はそれがあくまで紙の上での想像上での暴力だという軟弱な点も、そしてこの暴力と戦中の暴力の間に何の違いもないことを知っている。こういったモチーフが最も完成された「ひかりごけ」において、かえって「私」がこういった暴力から超越的な語り手として存在していることは興味深い。(劇中劇としてこの小説を書いたという手法は、「苦肉の策」だったと作家は作品中で告白している。)
武田泰淳は超一流の批評家だったが、作家としては「超」がつかない一流だったのだと僕は思っている。その紙一重はとても大きいが、それでも十分、彼の作品は今の時代の僕らを撃ち続けている。
白昼の通り魔 [DVD]
大島渚の作家性を充分堪能できる作品である。闘う反体制映像作家が久しぶりに前衛的な作品に挑戦した。冒頭からカットの連続、死人の前で女を犯すと言うセンセーショナルな題材ながら、後半はどんどん主題からずれ、観念的な世界に引きずり込まれてしまうのである。賛否両論あるだろうが、私は大島渚の傑作だと確信する。戦後の女性の立場、地位考えさせられる作品だ。
森と湖のまつり [DVD]
高倉健と北海道という組み合わせで一番成功しているのがこの映画だ。
ダンスウィズウルブスがアメリカ先住民を描いた以上に、アイヌの現在を神話的に描くことに成功している。自らの和人としての出自を知らないアイヌ独立の闘志である高倉健の姿はむしろマルコム・Xを思いださせるかも知れない。壮大なスケールを持っており、ぜひ大画面(ワイド+カラー)で見て欲しい。
原作よりもいい作品になっている。内田吐夢の隠れた傑作だ。