ヴェニスに死す (岩波文庫)
私がこの作品を初めて読んだのは高校生の時だった。
人間の努力による厳格な構成と精神の高貴を追求した作品により,地位と名声を獲得した初老の芸術家が,旅先で「完全に美しい」少年に出会う。その神の作品ともいうべき完璧な美の前に芸術家の人工的な美は敗北し,芸術家は少年の美にのめり込み,遂には死を迎える…。その頃はこのような耽美的な,一種退廃的な作品とも捉え,その世界に酔いもしていたのだった。
しかし,今,余程アッシェンバッハの年に近づいた自分が読み直すと,また違う印象を抱かされる。
タッジオは決して単に客観的に,外部だけに存在する美少年ではない。わずか六歩の距離でタッジオがわざわざアッシェンバッハに観賞されているという不可思議な道化師の場面からも分かるように,二人には秘められた,精神の回路が通じている。
タッジオはさながら美の王国からやってきた天使のようだ。そしてその天使は地上での役割を終えつつある芸術家をねぎらい,祝福し,そして永遠の美の王国へと誘うのである。
読者はしばしアッシェンバッハと共に神話的なエロスへの憧れに胸をかき立てられ,美の世界にさまよう。しかし物語は彼の死で突然終わり,読者は再び日常生活に投げ出されてしまう。永遠と美の神秘へのやるせない憧れを抱かされたまま,美と日常生活の深い断絶を前に,読者は途方に暮れる他はないのである。
百年近い年月を重ねた今でも,あやしく光る文学の神秘に圧倒される作品である。
ベニスに死す [DVD]
いやー。これはイタリア人貴族でないと――ベルイマンでもフェリーニでも作れない官能的な映画。ホモでなくても主人公に共感するんじゃないかな。そういう意味では名画。ヴィスコンティは、この映画が「山猫」がベストですね。プロレタリアート(低所得者)の私は「若者のすべて」が一番好きですが。
JAZZで聴くクラシック・マイ・スタイル
トーマス ハーデンのシリーズで「ジャズで聴くクラシック」を偶然見つけました。今までクラシックしか興味の無かった私ですが、チョットしたノリから、買ってしまいました。聴いてビックリ! ブランデーを飲みながら聴くにはクラシックに比べものにならないほど最高の大人の気分を醸し出してくれます。「マイ クラシック」とダブってカッテイングされている曲も有り、今は毎晩聴いております。本当に癒されます。しゃれた気分にさせてくれます。
明日も頑張って仕事をしに行きます。早く帰って、このCDを聴くために仕事に行きます。
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)
私は芸術を鑑賞するのは好きだが、トニオのように自分でヴァイオリンを弾くこともできないし、詩を書くわけでもない。それにもかかわらず、彼の孤独は痛いほどよく分かる。それはまぎれもない芸術家の孤独だ。芸術家でない者がこの孤独を共有することができるのは、それがきっとすべての人間に共通のものだからだろう。人は誰でも程度の差はあれ芸術家なのだ。それは、この本が出版後100年経った今でも多くの人に愛され続けているという事実が証明している。
私はこの本を大学教養課程のドイツ語の時間に初めて読んだ。この本の本当の美しさはドイツ語で読むとよりよく分かる。ドイツ語が出来る人は是非チャレンジしてほしい。翻訳でそのドイツ語の雰囲気をよく出しているのは、岩波文庫の実吉訳の方だろう。あの北杜夫も絶賛したという実吉訳の文体は直訳に近いが決して読みにくくはない。トーマス・マンの文体がもつリズムを忠実に再現していると思う。
ベニスに死す [DVD]
映画評論家を含めて、ほとんどの方がご存じないようなので、書かせていただきます。この映画の原作は、実はトーマス・マンの短編『ヴェニスに死す』だけではありません。同じトーマス・マンの長編『ファウスト博士』を読まないと、実はこの映画を十分に理解することはできないのです。この長編ファウスト博士の主人公は音楽家エイドリアン・レーヴェルキューンであり、芸術のために「悪魔との契約」を結びます。この契約は、娼婦ヘタエラ・エスメラルダからの梅毒の感染というかたちで実現します。結果としてレーヴェルキューンは12音音楽(シェーンベルクの音楽をモデルにしている)の創造にたどり着きます。ここまで書けば、気がつく方も多いと思います。娼婦の館を訪れるエピソード。12音音楽をめぐる音楽談義。そして何より、ヴェニスに主人公を運ぶ客船の名前がエスメラルダ号です。ちなみにトーマス・マンはレーヴェルキューンの生涯をニーチェを題材にして構築しています。梅毒、娼婦のエピソードはそこから採られています。ユダヤ人であったマーラーの音楽を使いながら、ドイツ精神の悲劇を描いた『ファウスト博士』を映画の中に描き込んだビスコンティの作家精神をこの映画から読み取るのも楽しみのひとつとなるでしょう。ぜひもうひとつの原作にも手を伸ばしてみてください。