自分の始末 (扶桑社新書)
社会構成の一部分として生きる我々にとって、「常識」とは不可欠なものである。しかし、既存の価値観が超流動化している現在において、果たして「常識」だけを頼りにしていたのでは、人間としての『自我』崩壊の現実を食い止めることができるのであろうか?「常識」だけに囚われていたのでは、自己と他者という『人間像』を単一的にしか概観することができない。この世に生を受けてから今まで体験したことのない「苦悩」に初めて直面した時、『自己』は如何に対処すれば良いのか?他者と比べて極端に『自我』の弱い私は、そのような時、ひたすらパニックと悲嘆に明け暮れたものであった・・・。ところで本書の著者は一宗教の信者である。未熟者の私なんぞより人生の大先輩である彼女は、失明の危機を始め幾多の苦難に苛まれてきたのだが、その度に当該宗教の「教え」の本質的な『意味』に更に深く『気付かされる』ことを告白している。当該宗教は開祖以来数千年の歴史を有するのだが、その共感的普遍性を支えてきたのは、人間としての根本的内面作用である「苦悩」や「悲しみ」等ではなかったのではなかろうか?人間とは本来弱い部分も持ち合わせているが、苦悩と悲しみに暮れる「自己」とは何ぞや?と問いかけ、自己の内面を直視する「勇気」を抱いたときに初めて『人生とは、こういうものなんだ!』という普遍的で且つ本質的な『気付き』を体得できる。闇一色だった現実に一筋の「光」が差し込む瞬間だ!・・・。
三枝成彰:セレクション Vol.2「レクイエム」
以前から三枝さんのメボシイものを捜していましたが某hpの推薦があり購入しました。邦人作曲家のレクイエムで傾聴したものといえば三善晃さんのレクイエムくらいで血が凍るほど衝撃的で凄まじいものでした。フォーレのレクイエムが一番好きな三枝さんのこのレクイエムは映画音楽の要素やコマーシャル音楽要素もありますが多くの犠牲者に対するレクイエム音楽ではなく自分の死ぬ間際にいや自分の周りの方が亡くなった時に心に響くレクイエムです。言葉が解るだけに曽野綾子さんの詩もストレートでぐっと悲しみも込み上げてしまいました。
老いの才覚 (ベスト新書)
自分は現在48歳。
まだこの手の本を手にするにはいささか早すぎる年齢かもしれないが、これまで人生の半分以上を生きてきて「そろそろ残りの半分について真剣に考える頃だな」と思い読んでみた。
著者の作品からはこれまでも何度も貴重なアドバイスをもらい、時には耳に痛い人生訓を聞かせてもらってきたが、本作も「読んでよかった」と読了後にしみじみ思った。
自分の心に響いた著者の言葉をいくつか書き出してみると、
● 「日本は経済大国なのにどうして豊かさを感じられないのか」とよく言われるが、答えは簡単。貧しさを知らないから豊かさがわからない。
● 老人が健康に暮らす秘訣は、目的・目標・生きがいをもつこと。
● 人間はどんな状況も足場にしなければならない。どんなことにも意味を見出し、人生を面白がること。
● 老人には大きく分けて二つの生き方がある。得られなかったものや失ったものだけを数えて落ち込んでいる人と、幸いにももらったものを大切に数え上げている人。様々なものを失っていく晩年こそ、自分の得ているもので幸福を創り出す才覚が必要。
● 孤独と絶望は、勇気ある老人に対して「最後にもう一段階、立派な人間になりなさい」と言われるに等しい神からの贈り物。
おぼろげにイメージしていた自分の老後について、あるべき姿のヒントをまた授けられた気がする。
巻末の情報によると、本作は著者がちょうど79歳の誕生日を迎えられた月に発行されている。
昨今の老人は昔に比べて元気になったとは言うものの、全編にみなぎる著者の気骨とバイタリティにはあらためて驚かされる。
果たして30年後の自分がこのような矍鑠たる精神状態でいられるかどうか、甚だ自信が無い。
「いい人」をやめると楽になる―敬友録 (祥伝社黄金文庫)
抜粋のみでまとめられた書なので、一気に読む!というよりは枕元やトイレにおいて、ぱらぱらと読むのに良い本です。
カトリックである著者の考え方には、すべて賛同とはいきませんが、ときにはっとすることもあり、生き方に迷ったとき、落ち込んでいるときに読むと救われる部分も多いでしょう。
最近ベストセラーの、女性なら「花の名前を知っていること」とか、「得意料理を持つ」といった単なるハウツーを記したものよりはよっぽどためになりました。